ひねくれ徒然草

どこかにいるひねくれ芸大生の徒然草。このご時世でそのひねくれ具合により磨きがかかりました。映画と音楽が好きです。

Kurt Cobainのお誕生日

今日2月20日Kurt Cobainの誕生日。と言いたかったところやけど下書きのまますっかり忘れてたよ、、、もう4日前の話。


55歳。

カートが生きた年月よりも、世を去ってからの年月の方がもう長いのか…

 

かく言う私は20歳。
彼が生きた時代とは全くかぶってないけど、彼から受けた影響は多大なものであります。これは私に限らず、同じ人が全世界に沢山いるだろう。

何年経ってもこうやってファンが増え続けて、人々を魅了することができるってほんまにすごいっすわ、、、

 

 

私がNIRVANAにどハマりしたのは3年ほど前。そう考えると結構最近だな? 
でも昔からNIRVANAっていうアメリカの有名なバンドがいる、程度には知ってた。

 

ちゃんと聞いたのは高1の時。ギターを始めて、“初心者にオススメの練習曲”で必ずと言っていいほど挙がっていたのが“Smells Like Teen Spirit”。
「これの何がそんないいの?」てのが最初の感想。結局その後何回聞いても印象は変わらんかった。

 

それから1年後くらいにとある映画で流れていてカッコイイと思ったのが“Territorial Pissings”。これが衝撃的な出会い。
何故か私はそこから吸い込まれるようにNIRVANAのライブ映像を見たり、他の色んな曲を聴いてるうちに、いやそんなことしてる時点で私は既にNIRVANAの沼に浸かってた。

 

何がいいのかわからん! と思ってたスメルズもMVのカートの動きを真似できるくらい好きになって、NIRVANAのない生活は有り得ないぜ〜となったのが高3。

 

そして、NIRVANAにハマってぶつかる壁がやはりカートという今は亡き存在。
衝撃的な最期を遂げているばかりにその喪失感たらありゃしない。もしその当時私も生きていてNirvanaのファンだったらどんな気持ちだったのかな、遂にその時が来てしまったのか…という感じだったのか…?
私はまだ好きなミュージシャンの喪失に直面したことがない、あるいは好きになる前に既に他界してしまっているから。。。

 

カート・コベインは今やカリスマというか、当時からそんな感じだったのかもしれないけど、よく言うのはやっぱり若くして他界すると神格化される節はあるよな。自分自身もそうやって見てしまうところあるし、、、カートが1番嫌なことよなぁ。

NIRVANA自体も今でもずっと続いていたら、今とはちょっと違った存在だったかもしれないし。

いやぁ、でもカート自身は辛いことの方が多かったのかもしれんけど、元々持ってる素質とか魅力があってこそ、カリスマ的存在になるべくしてなったと思う。

遺書とされるものにも引用されていたニール・ヤングの詞、「消え去っていくよりも燃え尽きる方がまし」みたいな、あれ本当に的確過ぎてしびれるぅ。名声を得ることへの苦悩が詰まってるというか。

 

ピリオドが打たれたその時点で、色あせることも更新されることも何もない、何も変わらない、それまでのそのまま。
ある意味永遠不変であるからこその特別感みたいなのが生まれる気がする(何言ってんだ?)

そういえばある邦楽バンドが、このバンドで生み出す曲はもうない、ってそのバンドを活動休止として、メンバーは同じままで名前を変えて新しいバンドを始めた方々がいらっしゃって、それってこの不変の原理(?)を踏まえてやったんじゃないかな、って今思いました。

 

 

 NIRVANAに出会ったことで、私が生まれる前の海外のロックに親しむようになったし、薬物問題とかミュージシャンのパーソナルな部分にも踏み込むようになった。そうやって私はアンダーグラウンドな世界にずるずると引き込まれていっちまったよ~

私の闇(病み)が深まると同時に、いっぱい考えることとか興味を持つことが増えましたワ

 

とにかく、今の私はKurt CobainNIRVANAの存在無くして語れない!ありがとうカート・コベイン!

Rest in Peace.